冒頭部から時系列を特定することができるものの、これは本編とはつながりを持たない。言わばプロローグである。この年に百八星が開放され、各地で人間として転生することになるわけであり、本編はこれより64年後にはじまる。

なぜ間を開ける必要があったのかと言えば、それは転生した百八星が成長するまでの時間を考慮していることは間違いない。生まれたばかりの子供には何もできないということである。検証の結果、ほとんどの百八星は1080年代から1090年代にかけて誕生しているという結論が出ているため、百八星は嘉祐3(1058)年より20年から30年後に誕生していることになる。
 
 
 元号  西暦  回数  事例
 嘉祐3年1月  1月  引首  疫病が流行する
 嘉祐3年3月3日  3月29日  1  仁宗、詔を降し、洪信を龍虎山に遣わす
 
 
 嘉祐3年1月 疫病が流行する

このころ、各地で疫病が発生し、多数の死者が出た。引首の地の文に「嘉祐三年上春間」とある。「上春」は陰暦1月のことであるため、嘉祐3年1月に疫病が流行したことになる。なお、史実では、この時期に疫病は発生していない。もっとも時機の近い疫病としては、嘉祐5年5月に首都圏で発生した疫病が挙げられる。これは『宋史』の12巻(本紀12)に記述がある。
  
 
 嘉祐3年3月3日 仁宗、詔を降し、洪信を龍虎山に遣わす

朝廷では疫病に対する協議が行われ、張天師に祈禱させることとした。洪信が使者として龍虎山に出向き、張天師を呼び出すこととなったが、任務を果たした洪信は、ふとしたことから百〇八星の封印を解いてしまう。第1回の地の文に「嘉祐三年三月三日五更三點」とあるため、これをそのまま採用する。